プログラミング適性のない人でも活躍できる業界であれ
この記事の反響について
文系でプログラマーになったけど色々失敗して3年半で会社を辞めた話 | denkigai | note
記事の内容を雑にまとめると「プログラミングの入門に失敗し、習得後も何をすれば良いかわからず投げ出してしまった」といった感じで、それらについての個人的な感想としては「本人よりもブラックな企業と行われた教育が悪そう」といったところなのだが、私が気になったのは下記の記述だ。
たぶん業界で活躍しているようなエンジニアはほとんどが「気がついたらプログラミングしていた」タイプの人だと思う。彼らが人の何倍も手を動かしているのは間違いないが、彼らはそれを「努力」だとは思っていないだろう。一方、「努力してプログラミングしている」人たちは、彼らの領域に至るまでにさらなる精神的な追い込みをかけなければならない。
関連して、記事の関連ツイートを見ると賛同している人も散見され「プログラミングが好きでないと駄目」だとか「趣味でコードを書くようでなければ駄目」だとか過激な意見も目に入った。まあ、駄目かは置いておいて、プログラミングが好きであったり余暇を使って趣味でコードを書いたりする人にプログラミングの適性があることは間違いないのだろう。
ただ、私はそんな風潮を持つ業界は大変不健全だと思っている。プログラミングが好きでなくても、適性がなくても、一定の教育を受ければ一定の水準に達せられる業界であってほしい。プログラミングを始めるモチベーションは人それぞれだ。自分の作りたいサービスがあってプログラミングを始める人、先の時代にプログラミング技術の習得が有利だと感じた人、新卒で何となく入社したら何故かソフトウェア開発事業部に配属された人(私だ)、どんな人々でも可能な限り等しく活躍のチャンスがある業界であってほしい。
プログラミングを好きになれない人、趣味でコードを書かない人を振り落としてしまう教育ではなく、プログラミングが好きでない人も、プログラミング以上に没頭できる趣味を持っている人も、何らかの理由でプログラミングを始めたいというモチベーションを感じたら、脱落することなく一定の水準まで引き上げてあげられるのが理想の教育ではないか。教育の目的は選別ではなく、最低水準の成果の確保であってほしいのだ。
私自身が割とプログラミングが好きな方で、業務外でもコードを書くタイプなので、全く説得力を持たせることはできないのだが、プログラミングを行うモチベーション自体は決して「好きだから」ではない。まず第一に非常に短い労働時間で比較的多く稼げる手段であること。次に、材料がなくてもマシンがあれば生産活動を行うことができ、在庫や資材を持たずしてビジネスができる選択肢であることだ。
成功しているプログラマーの皆が皆、プログラミングを心底楽しんで、趣味も余暇も捨ててコードを書いている訳ではない。そもそも趣味や余暇を捨てて勉学に勤しまなければ一流になれない業界なんて不健全すぎるだろう。勿論、余暇を削って勉学に勤しむ熱心なプログラマーの努力が報われやすい業界であることは大事だ。ただ、子育てで余暇が取れないシングルマザー(ファザー)や、他の没頭できる趣味や活動を持った人々であっても活躍できる業界であることも大事なのだ。
事実としてプログラミングに多大な時間を捧げた上、そのことを苦ともしない人物がプログラマーとして大成しているケースは多い。ただ、それができない人を振り落とすような風潮は業界の健全性を損なう。プログラミングが好きでなかろうが、文系だろうが、中卒高卒だろうが、余暇がなかろうが、適性がなかろうが、どんな人でもプログラマーとして華々しく活躍できるチャンスに溢れた業界であることを切に願う。