メタファーの持つ力
メタファーとは
メタファーとは比喩の一種で、隠喩、暗喩とも言われます。ただし、「のようだ」のように、明示的に比喩であることを示すわけではありません。情報技術の世界では、多くのメタファーがあふれています。代表的な例として、”バグ”や”ウィルス”が挙げられます。ユーザビリティの面でも、”フォルダー”や”ゴミ箱”はよく浸透されているメタファーです。”子をきっちり殺してから、親を殺す”なんていう知らない人からすれば恐ろしく聞こえるメタファーもありますね。
メタファーは遥か昔から存在する修辞技法である
仏教の教祖である釈迦は、様々なメタファーを用いています。その1つが有名な説法である「毒矢のたとえ」です。
ある人が釈迦に、「この世は永久のものでしょうか、無常のものでしょうか。世界には限りがあるのでしょうか、無限のものでしょうか…」等々、次々に質問を浴びせた。釈迦はその質問に直接は答えず、「毒矢に当たった者が、矢を抜く前に『矢を放った者は誰か、矢の材質は、私を診察する医師の名は、その階級は…』と聞いていたらどうなるだろうか。」と言い、真理を知ることよりも先にやるべきことがあると諭した。
また、キリスト教、ユダヤ教の教典である聖書にも様々なメタファーが用いられています。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっていれば、その人は実をゆたかに結ぶ。(新約聖書)
メタファーの持つ力
本題に入ります。メタファーの持つ力の本質は”誰もが理解できる概念に置き換えられること”です。ビリヤードの弾性衝突からヒントを得た気体の力学理論のように、振子モデルによってアリストテレス派の学者が発見できなかった法則を発見したガリレオのように、理解できていない概念を、理解できている概念に照らし合わせることにより、閃きを得たり理解が深まったりするわけです。
勿論、科学の歴史だけでなく、我々もメタファーによる多くの恩恵を受けています。例えば Macintosh や Windows における”ゴミ箱”です。”ゴミ箱”というメタファーを用いることにより、単なる削除とは違って、ゴミ箱を空にするまでは削除を取りやめることができることの表現を手助けします。また、デジタル的で形のない存在であるデータを、実態を持った対象として認識させる心理的な作用も働きます。
これはメタファーの持つ力が良い方向に向かう例ですが、メタファーの持つ力が悪い方向に向かう例もあります。プログラミングにおける代表的な悪いメタファーは”変数は箱である”というものです。”箱っぽいところもあるけど、ある側面では箱ではない”といった部分が存在すれば、逆に理解を妨げることになるためです。C言語のポインターの理解を妨げるのは、”変数は箱”という誤ったメタファーによるものだと考えています。ちなみに、これは持論です。
人によって概念の捉え方が異なる以上、メタファーの使用は常に危険性を孕んでいるのです。ローカルな世界でメタファーを用いて、複数人の理解を促進させるためにはメタファーの力は絶大です。しかし、不特定多数の人々にメタファーによる概念化を促す場合は注意が必要です。場合によっては、余計なメタファーを使わずに新しい概念で理解してもらった方が有効でしょう。
電子書籍リーダーの例を考えてみましょう。ユーザーインターフェースのデザインコンセプトとして”紙の本”というメタファーを採用してマーケティングを行った電子書籍リーダーは、一部のユーザーに不満を与えました。”紙の本”と言われたユーザーの期待は様々であるためです。紙の本のように、”所有”にこだわる人は、電子書籍の購入がライセンスの購入でしかないことを知ってガッカリしたでしょう。気になったページの端を折ったり、ラインを引いたりするユーザーインターフェースが紙より煩わしいという人もいるでしょう。つまり、紙の本でできることを全てクリアしなければ一部のユーザーは不満を感じるのです。
まとめ
メタファーは新しい概念の理解を手助けします。ただし、新しい概念とメタファーとして与えられた概念の矛盾により、誤った理解を促したり、ユーザーの期待を裏切ったりする危険性を孕んでいるのも事実です。とは言えど、新しい概念とメタファーとして与えられた概念に矛盾が一切ないのであれば、それは新しい概念ではないと思うので、全てのメタファーには副作用があると考えた方が良いでしょう。