Ryukalice

価値観教育による洗脳回避の勧め

2019-04-02

4月に入り、新しい元号も発表され、多くの新社会人が生まれたためか、「価値観」という言葉が飛び交い始めている。私は一企業の従業員であると同時に個人事業主でもあり、これまでジョブホッパー寄りのキャリアを歩んできたので「他所の価値観には染まらない」という強い信念がある。私が新社会人へのアドバイスするとしたら「価値観教育は全て聞き流せ」である。何ならこの文章も読み流せ。

他人の価値観に自分が染まる必要はない。他人の価値観を理解することと、他人の価値観に合わせることは違う。自分の価値観は自分だけのものだ。自分の価値観は、自分の目標や憧れによって形成されていくべきであって、決して自社や他者から洗脳的に形成させられるべきではない。

「洗脳」は少し大袈裟な言葉の選び方に思えるかもしれないが「強制的な思想改造」という意味では、ブラック企業が行なっている価値観教育は立派な洗脳である。もしあなたの会社が毎朝、社訓の唱和を大声で行なっていて、それを当たり前だと感じているのであれば既にあなたは洗脳されている。「社訓 唱和」でググってみると、マイナスな記事ばかりが引っかかるので軽い洗脳なら解けるかもしれない。Google でも Twitter でも良いので、外の世界では社訓の唱和に関してどのような捉え方をしているか観察してみると、大声による社訓の唱和を毎日繰り返すことが教育のあり方として正しいかどうか疑問を感じるようになってくるのではないだろうか。

価値観を形成していく上で、外の世界を観察することは最も簡単な洗脳回避の方法だ。特に、自社に何年も閉じ籠っている人からのアドバイスは話半分に聞いた方が良い。つい昨日も「先輩エンジニアから『エンジニアは怒号が飛び交うような緊張感のある職場にいないと成長しない』と言われた」とのツイートが流れてきて驚いたものだ。転職の経験もなく、過酷な環境に身を置き続けると正常性バイアスでこういった思想になる。つまり「過酷な環境に身を置いている自分が成長していないはずがない」「私以外の成長している人々が過酷な環境に身を置いていないはずがない」と思い込んでしまうのだ。これは人の特性なので仕方のないことだが、今の時代は Twitter 等を使って自分の職場の常識と外の世界の常識を照らし合わせやすくなっているので、バイアスも外れやすくなっているはずだ。

冒頭に書いたことの繰り返しになるが、他人の価値観を理解することと、他人の価値観に合わせることは違う。自分の価値観は、自分の目標や憧れによって形成されていくべきであって、決して自社や他者から洗脳的に形成されられるべきではない。価値観の共有は、風土や有様によって自然と行われるべきであって、「これは価値観教育だ」と一方的に押し付けるものではないし、行動の強制を行うべきでもない。一方的な押し付け、あるいは行動の強制によって価値観の改造をされていると感じたら、まずその内容が世間一般の倫理観から大きく外れていないかを確認しよう。今の時代は、この文章を読んでいるお手元のデバイスで簡単に外の世界に触れられる。Twitter のツイート検索でも良いし、Google 検索でも良いだろう。多くの新社会人の価値観が、自らを取り巻く環境ではなく、自らの目標や憧れの人々によって形成されることを祈る。